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一谷嫩軍記 「熊谷陣屋」あらすじ
舞台は、生田の森にある、源氏方の武将熊谷直実の陣屋です。生田神社は神戸市の中南部にあって、一ノ谷の戦いの時に木戸口が置かれました。元は平清盛の別荘があったところですが、今はここに源氏方が陣を布いています。すでに平氏の大半は西海へ逃れてしまい、源平の合戦も中盤というより、平氏の敗色はもう決定的になっていたといってもいい時期です。
幕が開くと正面に陣屋の屋台、下手には満開の桜の木があります。この近辺の町人たちが、桜の木の傍らの、
「此花江南所無也 一枝於折盗之輩者 任天永紅葉之例 伐一枝者可剪一指 寿永三年 如月」
と書いてある制礼を取り囲んでいます。義経の命を受けた弁慶が書いたもので、ごく簡単言えば、「この枝折るべからず」ということですが、「一枝を伐れば、一指を剪るべし」つまり、この花の枝を一本切った者は、指を一本切る…という、恐ろしい罰則。字の読める者が、そう説明すると、みんなは「こんな所にいて指でも切られたら大変だ、さあ早く行こう行こう」と、怖じ気づいて引き揚げます。
そこへ、この陣屋の主将、熊谷直実の妻相模が旅支度で陣屋へたどり着きます。そのすぐ後に相模の旧主で、敦盛の母藤の方が追ってから逃れて助けを求めます。藤の方からすればここは敵の陣ですが、これにも深いわけがあることです。
そこへ頼朝の側近で、敵役の梶原平次がやって来て、「捕まえておいた石屋の親父を引き出せ」と横柄に命じます。引き出された石屋の親父=白毫の弥陀六に、梶原は「敦盛供養の石塔を、誰に頼まれた」と厳しく詮議します。ここまでは、往々にして省略されることが多いのですが今回はこの部分もお目に掛けています。これだけの人物がこの陣屋にいることが分かった方が物語の展開がよく理解出来ると思います。
「旦那のお帰りー」という声と共に、
〜熊谷次郎直実、花の盛りの敦盛を、討って無常を悟りしか…。
という、置浄瑠璃と共に、花道を直実の出になります。
熊谷の屈託は、敵の若武者を討ったことだけによるものなのか?
制礼の真の意味は?
子の安否を心配する二人の母、相模と藤の方。
同じ源氏方でありながら、熊谷の身辺を探る梶原。
そうした人物の絡みは、義経の登場と共に、思いがけない方向へ展開していくのです。
この後はどうぞごゆっくりこの芝居をご覧ください。
copyright 1995 tamago@miso & CyaCya & Yayo 
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