司馬専太郎エッセイ17
ジェフ・ウッドガー君のつづきの巻


■ジェフ・ウッドガー君のつづき
オーストラリアから来たジェフ君は,私の絵の先生であることは,以前書きました。彼の大の自慢は,アーティストビザで日本に来ている事なのです。つまり日本にての身分証明は,絵かきさんです。他の外国人なら,ビザといえば,英会話の先生が普通ですが,ジェフさんにとっては,「ハウ,アーユー?。ファイン,センキュー」,と教えるのは,いわば生活の糧。芸術家で身を立てるべく,日本や世界各地を旅行し,日夜研鑽を積んでいるのです。英語教師はそのための貴重な資金源です。国際センター3階の通信コーナーにも,『絵,教えます』と広告しています。外国人が日本入国のビザをとるためには日本の企業と雇用契約をとる必要があります。彼は中区のある画廊と契約しました,オーストラリアから再来日した平成13年の2月から平成13年末までに40枚の油絵を描き,描き上げたら平成14年の1月にその画廊にて展覧会を開きます。展覧会以後は,描いた絵に値段がつけられ,画廊がすべて買い上げて報酬を得る事になっていました。そして画廊は彼に40枚の絵を描くまでは,勝手によその展覧会に出品したり人に見せて個人的に売る事を禁止しました。そして絵を描いたらひとつひとつ画廊に持ってくることを要求しました。その時は絵の買い上げはしてくれません。あくまでも展覧会が目安です。もし展覧会が開かれなければ,この1年間の苦労は水の泡,無報酬になってしまいます。彼は必死でした。6月からは,スクーターも手に入り,画材道具を積んで津島の近くの木曽川べりまで毎日せっせ制作に通う日々が続きました。40枚もの絵を描くのは並み大抵ではできることではありませんが,描きあげれば,展覧会を開いてもらえるとばかり,油にまみれて一心不乱に絵にうちこんでいたのです。そして一枚一枚描き上げては名古屋の画廊に運んでいったのです。そして平成13年の11月の終わり。遂に契約の40枚の油絵を描き上げたのでした。僕にも「ついに,やったセンタロさん,これで展覧会がひらいてもらえるんだ。ぜひセンセイも友達さそって見に来て下さい自身作ばかりです。」とれんらくが入りました。しかし事態は急変しました。40枚の絵を描き上げたとたん,12月にその画廊の社長から,40枚の絵のうち20枚は気に入らないので,描き直してほしいとの命令をもらったそうです。そして描き直しが出来ないならば展覧会は行わない。つまり,今まで必死に絵を描いて来たのに評価も,報酬もなにもしてもらえないということになってしまいました。アーティストビザの有効期限は1年。オーストラリアに帰る飛行機の切符は,往復切符なので平成14年の2月で期限が切れます。
ジェフさんは,びっくりしました。がっかりしました。いままで一枚一枚届けたとき画廊からはなにも言わなかったのに,なにを今さら描き直せとは,とんだいいがかりです。2月の帰国の日は刻々近づいて来ます。20枚の絵を描き直す時間もなければ,展覧会も出来ません。それでジェフさんは描き直す事をやめて,急いで今まで描いて来た40枚の絵を手元にとりもどすことにしたそうです。もちろん1月に予定していた展覧会もキャンセルです。それでもラッキーなことに,全部取り寄せる事に成功したそうです。
僕はその話を聞いて,ジェフさんは画廊に,だまされていたんだと,思いました。日本語が不自由なジェフさんに無理難題を押し付け,挙げ句の果てに展覧会キャンセルの保証金ももらえないなんて。ひどい話です。僕が「訴訟したらどうか。」というと,「お金が無いので無理です。」と,かなりがっかりした様子でした。
ジェフさんから展覧会のキャンセルの連絡をもらったのは,僕が北海道にスキー旅行に行く前でした。僕はなんとかジェフさんを力づけてみようとおもいました。日本人とオーストラリアの友好関係にも発展しかねない重大な問題にも思えました。ちょうど北海道にスキー旅行に行くグループに弁護士さんが何人かみえました。そのうちひとりの弁護士さんは,大学の時に美術クラブに所属して,たいへん絵に造詣が深く,「オーストラリアから,すてきな風景画を描く青年がいるが。」と言うと,「一度ジェフさんの絵を見てみましょう。ちょうど事務所に飾ってある絵も古くなって来たので。」のことでした。スキーから帰ってからジェフさんとその弁護士事務所を尋ねて行きました。まだ,そのときは,画廊の話も,だまされた話もしないつもりでした。
ジェフさんは古ぼけた大きなスーツケースにいっぱい油絵とスケッチを持って来ました。まず名城病院で,どんな絵を持って来たか見ていると,看護婦さんが通りかかって,「まあ,すてきな絵,これいただけるんでしょうか。」と,ジェフさんは,「そう,3万円くらいです。」とさっそく,1枚売れてしまいました。「フィッシャーマン:漁師」と題する漁師が船を出して川で魚をとっている絵で,ジェフさんの得意とするモチーフです。
1枚絵が売れたので,すこし自信が出て来たのか,ちょっと呼び込みもすると,さらに2枚絵がうれました。
つぎに,駅前の弁護士さんのところに出かけて行きました。
「せんだってのスキーでは,いろいろとお世話になりました。」と僕が言うと,「先生もお若いですね,スピードがちがいます。富良野の斜面ではもの足らなかったでしょう。」などと弁護士さん。ジェフさんを紹介した後,「さっそく絵を拝見致しましょう。」とおっしょるかたわら,ジェフさんは,10まいほど絵とスケッチを並べました。「みな,きれいで素晴らしい出来ですね。とくに,この小さい絵は,事務所向きです。では,この絵とその絵,それにペン画のスケッチもいいですね。」と油絵5点とスケッチ10枚まとめて,買っていただく事になりました。「しめて,おいくらですか。」「15万円です。」「これは,良い買い物をしました。先生なかなか良い絵を描くお方を紹介していただいて感謝します。」と,おほめをいただきました。ジェフさんも大満足でした。
この日は,病院の売り上げをふくめて20万円ほど,ちかくの居酒屋さんで,ジェフさんとおおいに祝杯をあげました。
日本出国の日がせまり,ジェフさんの津島のアトリエでささやかな展覧会と,送別会をひらきました。そこでもジェフさんの友達が何枚か絵を買ってくれました。のこりの大きな絵は,オーストラリアに船便で送り,ブリスベンの近くにある国立美術館に応募してみるとのことでした。そして,故郷のメルボルンの近くベンディゴに,画材屋さんをひらいて,更に制作にはげむそうです。
ジェフさんのこれからの成功をみんなで祝いました。また,いつか日本に来て,名古屋の本山にある古い家に住んでムカデと格闘しながなら,絵を描きたいそうです。

前へ 表紙 次へ


Copyright 2002.3. Sentaro