司馬専太郎エッセイ3
秀紀君と誓いのマラソン■倉田秀紀君の巻
倉田秀紀君(16才),は小さい頃から小児科で,自家中毒いわゆる,習慣性嘔吐症と診断されていました。何日も嘔吐と食欲不振が続き,入院と退院をくりかえしていましたが,16才で小児科から内科に移りました。この秋も例によって,食欲不振に加えて,痙攣発作があり,意識がもうろうとした状態で,救急車で入院してきました。色々血液検査しても,原因がわかりません。糖尿病の高血糖昏睡でも,低血糖昏睡でもありません。また,肝臓が悪くておこる肝性昏睡でもありません。とにかく持続的に,栄養剤を点滴していましたが,一週間ほどして,かろうじて返事をしてくれるようになりました。御両親とも公務員で一人っ子です。当然鍵っ子ですが,少し離れたところに,おじいちゃんが一人で住んでいて,いわば,おじいちゃん子でしたが,入院する2週間前,おじいちゃんが,
急性心筋梗塞で亡くなってしまい,秀紀君はショックで寝込んだとのことです。秀紀君の学校の成績は残念ながら,後ろから数えたほうが早く,おまけに,よくお父さんから成績の事でしかられていたみいです。期待が大きすぎるストレスに,おじいちゃんショックが重なったのでしょう。
二週間ほど高カロリー点滴をして,元気になりました。もともと陽気なたちと見えて,病室に居る事が苦手で,いつも看護婦詰所に来ては,「先生は,また今日も来てくれるのが遅いなあ。」とか,「コンピューターゲームのストリートファイターのヒーローの名前教えてあげようか。」とか忙しい看護婦さん相手に,暇つぶしの様子。秀紀君は異様に首が長く,指先がクモみたいに長くて,おまけに目が生まれつき遠視とかで,分厚いメガネをかけています。歯列の矯正の装具もはめていて,一風特異な風貌であるといえます。何か,自家中毒といった漠然とした診断ではなく,もっと影に隠れた病気,それも先天的な代謝異常のおそれがありそうです。それで,秀紀君の尿を,日本で数カ所しかない,医用マススペクトロメトリーの専門家に送る事にしました。
返ってきた答えは,特殊なアミノ酸が体内にたまる病気で,そのアミノ酸が溜まってくると,痙攣やら,食欲低下,体格の異常,それに知能低下までおこしてくる病気で,本当は,幼児の頃に見つからなくてはいけない先天的な疾患でした。いろいろな小児科で見過ごされて,この年令まで来てしまったのです。ビタミンB6の大量療法がよく効く事が分かりました。
秀紀君の退院の前日は,シティーマラソンです。日頃からジョギングに余念のない専太郎先生は,ハーフマラソン21.097Kmに医学部のテニスの後輩達と挑戦する事になりました。テニス部のキャプテンが,専太郎先生も一緒に走りませんかと言うので,勇敢にも,奥さんに内緒で(心配するといけないので),出場したのでした。ハーフマラソンの折り返し地点は,秀紀君が入院している病院のすぐ前です。秀紀君は,「先生が走って来る」と朝からおおはしゃぎです。日の丸と新聞社の小旗まで用意しました。丁度午前10時,遠く南の競技場からのスタートで,11時頃までには,10Kmの折り返しに来るはずでした。天気は快晴,雲ひとつなしのマラソン日和となりました。テレビでは,スタートの模様が写し出されていま
す。秀紀君も病室のテレビと,病院の屋上を行ったり来たり,11時になりました。そろそろ,病院の前に差し掛かってくるので,病室の窓から,それこそ本当に首をながーくして先生の走ってくるのを待っていました。テレビでは,オリンピックの市橋選手のゴールインの模様を写し出しています。(余談ですが,市橋選手は近くで見ると,思っていた以上に小柄で,キュートでした。)一般選手は,ほとんど折り返し点を通過しています。なかには沿道にうずくまって,介護の役員につれられて,収容バスに入る選手もいます。秀紀君も最初は,走ってくる選手にいちいち声援をかけていたのですが,先生がちっとも現れないので,応援の意気込みがだんだん薄れてきました。お昼の12時になっても先生は現れません。関門員も帰りかけ,交通規制が解かれます。どうやら途中でリタイヤした模様です。がっかりして,病室でストリートファイターをやっていると,午後5時頃,なんと松葉杖をついた先生が,現れました。
「秀紀君ごめん,おわびに退院祝いのケーキ買ってきた。」と先生。実は折り返し地点の手前2Kに第2チェックポイントがあり,そこまでは調子良く,沿道に愛嬌などふりまきながら余裕で走っていたのに,チェックポイントの係員が,「あと,1分で,関門締め切りです。」とスピーカーで走者に知らせたとき,ダッシュして,右足の肉離れをおこし,あえなく収容バスにて,出発点に戻されてしまったのです。一緒に走ったテニス部のしかもキャプテンが同じ収容バスに乗りました。かれは先輩と乗るのが「ばつ」が悪かったと見えて,「僕,走って帰ります」といって別れました。そんな力が
あるならどうして速く走らなかったか不思議と言えば不思議ですが。(彼の名誉のために報告すると脇腹痛だったとか)一方,専太郎先生は実は,折り返し地点附近の病院で,日曜日の回診をしようと,計画的にリタイアするため,朝わざわざ病院に車を駐車して,地下鉄で,出発点の運動場まで行き,オリンピックの市橋選手のはるか後方からスタートしたのでした。しかし,肉離れで,折り返し地点手前2Kmというところで,バスに収容されてしまったのでしまったので,出発の競技場にもどされ,日曜回診の計画なども,全部徒労に帰したのでした。
しかも悪い事に,走っている途中の沿道の声援の中に,専太郎先生の奥さんの友達に,手を振ってあいさつしたのがたたり,彼女が「ちょっと,ちょっと!あんたの旦那さん出ているわよ。」と奥さんにわざわざ電話したので,出走を秘密にしていたのが奥さんにバレてしまいました。それで,収容バスの中で,携帯に奥さんから,さっそくお叱りの電話が入りました。(ドクターはマラソンといえども携帯だけは,肌身離さず持っています。)
選手のほとんどは,ぐったりして,お互い,バツが悪いのか,ほとんど声をたてる事なく静寂が続く中,チリチリと携帯の音が響き渡ります。専太郎先生は,てっきり病院からの患者さんの呼び出しかと思いましたが,奥さんからでした。「なによ!,私に隠して,病院にいってくるなんてウソばかりいって,もう今日は,夕食はお預けね。」と厳しいお言葉。「キミに,心配かけないように,言わなかったんだ。」と,言い訳しても後の祭りです。それで,病院で,秀紀君とケーキをぱくつくことになったのでした。前へ 表紙 次へ