■長嶋春秋さんの巻
長嶋さんは,94才の秋に透析を受け初めてから,かれこれ6年,今年の8月で満100才にお成りになります。大蔵省の元官僚で,娘さん2人と名古屋では最も標高の高い自由が丘から娘さんの運転する自家用車で,お家からパジャマとガウンを羽織り,ゆっくりゆっくり週2回,御自分のラジオと,好きなお飲物を入れたウイスキーの小瓶を首からぶらさげて,透析にお通いです。
お年の割りに背中がピンと伸び,いささかお耳が遠い事を除けば,いたって健康,わが国の最高齢者透析記録でにも届かんとする勢いです。毎年夏になると,軽井沢の別荘で,2週間ほどお過ごしになるので,地元の佐久総合病院に透析の依頼をします。そうすると,向こうでも最高齢の透析患者さんとかでお出迎えの歓迎を受けるそうです。帰ってこられるといつも,「先生,向こうの病院はいいですね,テレビがあるんです。」とおっしゃります。
長嶋さんの趣味は,庭の草花で,気にいったお花をみつけると,根っこごと掘り起こし,小鉢に移し替えて,御自分の寝床の横に並べます。特に20年前に亡くなった奥さんの好きな,ひな菊の花が得にお好みです。
2001年の1月27日(土)は,朝からなんだか雲行きがあやしく昼からは,大雪も予想されていました。娘さんの送り迎えの都合で火曜日と土曜日の午後に透析があり,その日も午後2時に,茶色に紺のチェックのガウンを羽織った長嶋さんが登場,先にお一人でエレベーターのボタンを押して待ってみえます。
丁度私は非番で,松平健の「暴れん坊将軍」の公演を伏見の御園座で見ようと,文献の整理を済ませて,病院を出る時でしたので,「透析がんばってください。」と御挨拶をすると,「ああ,先生いつもお世話になります。これどうぞ。」といって,1枚の紙切れをお渡しになりました。見ると,なんだか人生訓のようなもの。
それにはこう書かれていました。
70才はひよっ子,80才は,若憎,90は才は,お迎えにが来ても,100才になったらこちらからそろそろ出向くまで待っとれと追い返せ,てなことが墨で書いてあります。「長嶋さん,いいですねー,これ透析の皆さんにコピーしてくばりましょう。」と返事をすると,「わっはっはー」とおわらいになりました。
娘さんは,「よろしく,おねがいします。」といって,透析の間お家に帰っていかれました。
暴れん坊将軍の劇も終わり,後半の松平健の歌謡ショーがスタートする前の幕合いに外を見ますと,なんと5ム6センチにも雪が降り積もり,まだあとその倍くらい積もる勢で,降っているのです。幸い私は,スキーに備えて,スタッドレスタイヤを履いたミニバンで来ていたので,ゆっくりと歌謡ショーを見ようかと思っていると,ポケベルで呼び出し。「先生,透析の患者さん達が,帰るのにタクシーがなかなかつかまらないので,入院させますがよろしいでしょうか。」との事。
そういえば,長嶋さんはどうかと尋ねると,「長嶋さんは,入院は絶対嫌だとの事です。娘さんは,家からスリップが恐くてこられないそうです。」との事。「じゃあ,僕が送ります,家が同じ方向なので。」と御園座を出て,病院に帰りました。
透析室ではひとり長嶋さんだけがガウンを着て待ってみえました。
「では,ゆきましょう。」とすこし止みかけた雪の中,自由が丘に長嶋さんと2人で帰り始めました。スタッドレスタイヤはしごく快適で,すこしの坂ものぼってゆきます。しかし,国道19号線と交わる赤坂の交差点あたりから,交通渋滞が始まり,ついに大曽根あたりで完全に止まってしまいました。大渋滞です。長嶋さんは,後部座席で,すんともかんとも言わず。だまって乗っていらっしゃるので「だいじょうぶですか。」とたずねると,とくにお疲れの御様子ではなく,前を向いたまま,口を真一文字にむすんだまま
「ムムムムム,,,」とだけお答えです。かれこれ1時間たちましたが,車がすすまなく,お怒りになっているかとたずねても,「ムムムム,,,,,」です。しかたなく,脇道に入り,日泰寺のお墓を抜ける急な山道にでました。ここならだれも選ばなくて,雪道をどんどん登ってようやく自由が丘の消防署が見えてきたときでした。長嶋さん「おおっ,おおっ!!!」と感激の声をおあげになり,
一安心。お家では娘さん2人がお出迎え。出発後2時間の2人旅でした。
あとで娘さんに聞くと,「あのときおじいちゃんは,初めて他人と一緒のドライブで緊張して声もでなかったみたい。」なんだか,「箱入りおじいちゃん,みたいですね。」とみなさんで大笑いしました。