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怪しい味噌話 その5
三河の赤味噌は家康がひろめた?

  1972年、武田信玄が遠江(浜松地方)に攻め込んできた。当時、遠江から三河までを支配していたのは徳川家康である。
 31才の家康は信玄の挑発にのって出陣し、三方ヶ原で対決する。しかし、戦上手の信玄に打ち破られて家康勢は総崩れとなる。家康は一人浜松城へ逃げ帰る。出迎えたのは三河譜代の武将の大久保忠世。
 大久保は命からがら逃げ帰ってきた家康を馬から降ろすと、馬の鞍にクソがあるのを見て「殿はクソをたれて逃げ帰られた」と大笑いした。家康は、「兵糧の味噌が鞍に付いただけだ」と強がりを言った。それ以来、家康はもとより家康軍の兵は兵糧に赤味噌を持つようになり、この地域の主食になっていったという。

                       (KAMABOKO/小林護和)



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