ゲルマン純血一眼レフ

1990年10月3日、世界中が沸いた東西ドイツ統一という歴史的な日に開幕を迎えた'90フォトキナ。この記念すべき日は同時に、旧東ドイツ唯一のカメラメーカーであったペンタコン公社の倒産という暗黒のニュースをもたらした。当日ベールを脱いだばかりの自由経済市場へ向けての意欲作、新デザインの35ミリ一眼レフ、プラクチカBX20Sは倒産という事態に直面し、生産移行に向けての商談をおこなうこともできず、そのまま幻のカメラとなってしまうのではと危慎された。
旧東ドイツを代表する優良企業とされていたVEBカールツァイス・イエナのカメラ部門であるペンタコンの倒産は、独占の惰眠を負っていた国策経営の悲劇を象徴しているようでもあった。日本のカメラメーカーにも協力要請が寄せられるなど国際的な話題にもなったが、旧態依然たる生産システムのまま自由競争という弱肉強食の嵐の中に放り出されたペンタコンの再建は悲観的で、受注が確定していた在来型の生産完了時点でカメラ生産に終止符を打つことは必至と思われていた。
だが、その後さまざまな政治的配慮が加えられて事態は好転し、VEBカールツァイス・イエナは部門ごとに旧西側企業等へ逐次委譲されることとなり、カメラ部門であるペンタコン公社は、西側のレンズメーカーであるシュナイダー・クロイツナッハ社(現・シュナイダー・オプティックス社)がシュナイダー・ドレスデンとして継承する運びとなった。
ペンタコン製の6×6判一眼レフ・ペンタコンSIX-TLの兄弟機であり、旧西ドイツ・ニュルンベルグのエキザクタフォト社で外観や露出計運動方式をモデファイして発売されているエキザクタ66用の交換レンズ(同一マウント)を、シュナイダー社が供給していた関係が生かされた訳である。
譲渡金額は1マルク(当時のレートで85円!)。両社の苦慮ぶりがうかがえるようだが、これによりプラクチカBX20Sは2年近い眠りを経てようやく生産にこぎつけ、1992年夏より無事発売となった。ポデー底部には旧来の"MADE IN GERMAN DEMOCRATIC REPUBRIC"に代わって、"MADE IN GERMANY"が誇らしげに表示されて。ローライが離脱し、ライカRがその主要部品を日本に頼りつつある現在、唯一ともいえるゲルマン純血の35ミリ一眼レフが再生したわけだ。

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