'78年登場のBシリーズ
プラクチカの一眼レフカメラといえば、その名称がネジ込み式マウントの代名詞ともなったM42スクリューマウントが連想されるが、同マウントの極東の雄であるペンタックスがKバヨネットマウントに移行したように、時代のニーズに応える形で新たに新規格のBバヨネットマウントを採用するなど全面的に新開発されたのが、プラクチカBシリーズである。Bはバヨネットの略号だ。第一号のプラクチカB200は、'78フォトキナで初公開されて注目を集めた。
第二次大戦後から社会主義の壁の中で、ローコスト以外には特徴の少ない大柄なM42スクリューマウントの35ミリー眼レフ・プラクチカLシリーズを連綿と生産し続けるペンタコン公社の製品に辟易していた西側のジャーナリストに相当なインパクトを与えた様子が、「これは驚き。ペンタコンから独創的小型AE一眼レフ」(モダンフォトグラフィ一編集主幹ハーバート・ケプラー氏/世界のカメラと写真用品1979)というコメントからも伝わってくるようだ。
ソ連宇宙船に搭載
プラクチカB200は、コンパクト化されたポデーに新規格のBバヨネットマウントを採用し、電子シャッターによる絞り優先AEやワインダー装着可能など、当時流行の各種メカニズムを盛り込んでいる。ヨーロッパや社会主義圏、第三世界市場をメインターゲットに、日本製一眼レフの好ライバルとなることが期待された。東ドイツの最新鋭カメラとして、ソビエト連邦の宇宙船サリュートに宇宙記録カメラとして搭載されるなどのプロモーションもおこなわれている。
1978年という時期からすれば、プラクチカB200のスペックには、これといった優位性は見当たらない。互いに激しい競争を繰り広げ、進化を続けていた日本の各メーカーの小型AE一眼レフに、ようやく追いついたといった程度である。しかし、その内部にはドイツ製品らしいユニークなメカニズムが数多く盛込まれている。