再生と飛躍を願って
プラクチカは、スクリューマウントのモデルを含めると、一眼レフの故郷ドレスデンで、半世紀近くにわたり各種モデルが連綿と送り出されている。社会主義のベールのおかげで、最後までドイツ純血を守り通せたという点でも、ロマンを感じさせてくれる貴重なカメラである。
かつてのカメラ王国、ドイツで長年にわたって培われた独特の気風や、東西分割や企業統合という母国とメーカーの複雑な歴史背景などをオーバーラップさせながら、その物語を紡ぎ出してみると興味は尽きることがない。さらに戦前の一時期に、イエナ近郊のワイマールを発祥の地とし、芸術と工業技術の創造や造形技術に革新をもたらし、新建築やプロダクトデザインの世界的中心となり現在でも高い評価を得ているバウハウスの正統的継承として、旧東ドイツの建築や工業製品が再び脚光を浴びることもあるが、プラクチカのカメラもその伝統を受け継ぐデザイン製品のひとつといえるのではないだろうか。
だが、冷静な考察を加えてみると、オートフォーカスをはじめとするハイテク満載の高性能で入手しやすい日本製カメラの洪水の中で、世界最強通貨マルクの下で生産されることになったプラクチカが、将来にわたってどれだけ抗して行けるのか、課題は山積しているようだ。ライカRと同様、スペックそのものには先進性があるとはいえないカメラであり、世界市場におけるブランド力には大差がある。
しかも残念なことに、大きな魅力となっていたドイツ製レンズの多くについては生産再開が見込み薄で、ストックが尽きればOEMの日本製ズームレンズ等が中心になる恐れもあるようだ。より高級化へのシフトあるいは純機械式シャッターへの回帰、さらにはオートフォーカスへの対応等、新たな展開は不可欠といえるのではないだろうか。(追記/1996年のフォトキナでは工業記録用に特化したボデーも紹介されている。)半世紀近くにわたる計画経済の呪縛から解き放たれ、唯一のゲルマン純血一眼レフとして再生を果たしたプラクチカのさらなる飛躍を期待し、エールを送りたい。(1992.10.10)

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