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お別れの言葉 3  (ういろMUG 田中宏明) 

1.後藤さんから亡くなったと連絡を受けてすぐ書いた文

師 平子彰に捧げる。ぼくはいま泣きながらこれを書いている。
私のホームページ作りにおける唯一無二の師匠、平子彰がいま死んだとの連絡があった。
彼は子供の頃シンガポールにいてそこでB型肝炎に感染。そして41才で厄落としをした直後に発症。
何回かの入院をくりかえしながら今日に至った。
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おれとは9年前にういろマグというマッキントッシュユーザーズグループでしりあう。なんかウマがあって
よく二人でのみにいった。当時、まだネットスケープ1.0のころ。
彼はもともとはコピーライター。その仕事に限界を感じていた彼はその頃からウェブデザインを志し、
彼のつくった母親の人生を綴った千枝物語
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というページはいま読んでもとても感動的だ。
味噌煮込みマガジンの編集長であった彼は
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もともとはコピーライター。その仕事に限界を感じていた彼はデジタルな世界に可能性をみだし
数々の人身御供的なデジタルグッズをまわりに広めていった。
その代表がデジカメ。たぶんアップルがつくったクイックテイクというデザインは
いまのヴィデオカメラより大きいものを購入。自慢していたのがなつかしい。
その後デジカメ黎明期のカシオQV10の伝道師だった。わたしもおしりにへばりついて
それを買ったのはいうまでもない。
わたしもそんな平子彰にあこがれアドビページミルというアプリでウェブデザインの第一歩をしるした。
いまから4年ほど前、ペリカンピーツという屋台飲み屋で彼と飲んでいると、
ドリームウイーヴァーというウェブデザインのアプリの話をしてくれた。
ぼくはまずこの「夢紡ぎ人」というかっこいいネーミングにとりつかれ、これ専用のマックを用意しこのアプリとりくんだ。
最初はとても難しかったが、折しも愛知医大に入院中の平子さんに教えを乞いにいったのが難関突破のきっかけになった。
彼とドリームウイーバーの講習会を開いたこともあった。
いまではそこそこのホームページが作れるようになり小遣い稼ぎもするようになったが
師匠にそんな話をすると田中さんのデザインはすっきりしていると最近になって誉めてもらったこともある。
平子さんの人生はそんなに残ってはいないと思っていたが、
こんな早く別れがくるとは思っていなかった。ほんとに思っていなかった。
もっともっと教えてほしかった。

田中宏明

2.告別式弔辞

わたしと平子さんは9年ほどまえにマッキントシュというパソコンを使っている人たちの集まり
ういろマグで知り合いました。
会ったその日から10年年下の若輩者の私をともだちとして扱っていただいたのがとてもうれしかった。
そのことをいまでもよく覚えています。

平子さんはご存じのとおり名古屋におけるホームページ作りの第一人者でした。
いまではひろく普及しているインターネット。
まだまだマニア向けの存在だったころから可能性を信じて平子さんは研究してきました。
わたしは勝手に弟子と自称して師匠のホームページ作りの技を伝授してもらおうとひっついてきました。
平子さんとおなじ道具平子さんと同じやり方、平子さんと同じカメラ。
ウェブデザイン平子流の従順な弟子だったとおもいます。
問題点をしぼり質問するといつも的確な答えが返ってきました。
知的なかたでした。

そして平子さんの人柄。平子さんと一緒にいるときとても
たのしく、リラックスできたことがなによりよくおぼえています。
そこにいるだけでまわりをやさしいふんいきにさせる人
肩にちからが入っていない自然な生き方だった。
そんな平子さんのことがぼくは大好きでした。

ときどきまえぶれもなくふらっと我が家に立ち寄ってくれた。
5/16我が家に訪ねいらっしゃったのが最後。
そのときはとてもとても元気で
新しいパソコンを買ったことを嬉しそうに話してくださいました。
ご自身の病気のことをかたるときも
つらがるわけでもなく、痛がるわけでもなく、たんたんと自然に
はなされるもんですから、病気があるにもかかわらず
平子さんがなくなるなんて全く考えもしませんでした。
師匠、お別れがはやすぎます。まだ授業料もお払いしていません。
ご冥福をおいのりいたします。

田中宏明

3.告別式がすんだ夜、寝ていてあんまり平子さんのことが頭に浮かぶもんだから書いた駄文

平子彰つれづれ

平子さんの存在ってなんかおおきいんだよね。
いまマックでこれをうちこんでいると
後ろでBGMがながれている。これも
平子さんにおしえてもらった、MP3。
「さいきんMP3にこっててさ。田中さん」
ウェブをみるともう最近はあたりまえになった
フラッシュのコンテンツ。
「さいきんショックウェーブにはまっててさ。田中さん」
いちいち想い出されてくる。
平子さんってアウトドア系の服が好きで
デイパックを見てもなんかここにも平子さんがいる。
平子さんはうちに来るとぼくのマックをさわっていたけど
アップルマークとなんかのキーを同時に押す
指使いとかそんなあの人のしぐさがおもいだされてくる。
平子さんってマニュアルを作るのが妙に好きだったんだよね。
あれはまねできない。おれなんて自分ができると満足しちゃうもん。
スクリーンショットを駆使してマックのダイアログを
印刷したりしていた。
前の青白マックからG4への移行はちゃんとしたのだろうか。
そういうのって結構消耗するからなあ。平子さんは
もうOSXだったんだろうか。ぼくはまだ9.2だけど。
あたらしもんすきだからなあ。

平子さんのマックのハードディスクは平子さんの脳味噌。
落ち着いたら、えもりさんあたりがご自宅におじゃまして
平子さんのハードディスクを永久保存する方法も
考えてみたらいいとおもう。公開するにはちょいまずい
ファイルもなかにはふくまれているかもしれん。
そのあたりがむずかしいが。バックアップをとっておくことは
しなくてはいけない。

平子さん追悼のDVDを出すのもいいかもしれん。
「平子彰ウェブデザイン大全」とか。
でも平子さんって活躍が多岐にわたっているから
どのあたりにテーマをしぼるかがむずかしい。
まだまだDVD焼きっておそいし。
そうそううちわ作りもけっこうはまっていたね。
平子さんってイラストレータ使いでさ、
それでつくるもんだから線が妙にきれいだった。
おれなんかファイアワークスでつくるから
いまいち線がきたない。
そんなことを平子さんに言うと
「そういうのって、たぶん田中さんが感性がするどくなった
というか目が肥えてきたからきがつくんだよ。」って
いっていた。なんか人をさりげなく誉めるのがうまいんだよね。
QV10ってレンズがぐるっと回るでしょう。あれで
飲みに行ったみせのおねいさんとかをよく撮っていた。
それをおねいさんにみせると妙によろこぶんだよね。
あんな使いにくいカメラをすごく使い込んでいた。
ファイルをマックに落とすのがシリアルをつかうもんだから
30分以上かかったんだよ。ファイルの形式がカシオ独自の形式で
JPEGじゃないし。あ、JPEG,GIFも平子さんに教えてもらったんだった。
ああ、いま何気なく使っているものは平子さんからなにげなく
教えてもらったことがおおいんだ。正確にいうと
平子さんとシトラス山田さん。おれってことマックに関するかぎり
先生にすごく恵まれているんだ。
安武さんと田中さんと組んでB級グルメのサイトをつくると
言われたこともある。これも実現したらたのしかったなあ。
今日の告別式のとき野村芳生さんのギターは感動した。
この人には初めてあった。じつはぼくの友人田中良夫から
よくその名前は聞いていたのだが平子さんの後輩とは知らなかった。
初めてお会いした。
音と音の「間」がとてもすてきなすてきなギターだった。
最初に弾いた曲は「あっ」とおもった。井上陽水の古い曲を
クラシックギター用にアレンジした曲だった。
気になったので告別式の後、野村さんにきいたらこの曲は
平子さんにむかし、良い曲だよって教えてもらったとおっしゃってた。
「帰れない。二人を残して。」って歌詞がある曲。
曲名はわからない。平子さんも好きだったんだこの曲。
平子さんとぼくは
趣味、嗜好では重なるところは少なかった。
ただ、こだわるポイントとかが妙に共感できたのだ。
「嗜好」ではなく「思考」が近かった。
日本語にこだわることもとてもとても
惹かれていた。

>こんばんわ。例会をさぼったヒラコです。
>もれなくOS9.1がついてきて、
>ヒラギノが6書体もついてくるんだから、
>思わずアップルストアで買ってしまいました。
>アップルからメールが2通も来て、どーやら
>明日中に配達される確率は、けっこう高いやうです。
>うー楽しみだな。るんるん。

メールでは顔文字や(笑)などはほとんど使わない。
あと「ー」とかはときどきつかう。このあたりは音としての
日本語が そのほうふが近いからだとおもう。
たとえば「どうやら」。
「どーやら」と記述したぼうが現実の発音にちかくありませんか。
このあたりが平子さんの繊細なところだとおもう。

あーもう平子さんはいないのか。
つまんない、つまんない、つまんない、つまんない、つまんない。
あと100回くらい言いたい。小一時間いいたい。

田中宏明

お別れの言葉12


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